はじめに

2025年6月3日、日本プロ野球界の象徴「ミスタージャイアンツ」こと長嶋茂雄さんが、肺炎のため89歳で亡くなりました。その告別式は6月8日に都内で執り行われ、王貞治氏や松井秀喜氏をはじめとする多くの関係者が参列し、長嶋さんとの別れを惜しみました。王氏は「太陽のように光を放っていました。本当に特別な存在でした」と語り、松井氏も「監督、今日は素振りないですよね」と別れを告げ、長嶋さんの人柄と功績を讃えました。

しかしその一方で、栄光に満ちた人生の裏には、公には語られなかった家族の苦悩と悲劇がありました。特に2007年に亡くなった妻・明子(あきこ)さんの死は、いまなお多くの憶測とともに語られています。本稿では、あまり知られていない長嶋家の家庭崩壊の全貌と、その核心に迫ります。

妻・長嶋亜希子さんの経歴と出会い

長嶋明子(旧姓:西村)さんは1943年1月5日、東京都渋谷区に誕生。出版社社長の令嬢として育ち、上智大学卒業後にアメリカへ6年間留学。英語、フランス語、スペイン語に堪能な才媛でした。外交官を目指していた明子さんが長嶋茂雄氏と出会ったのは、1964年の東京オリンピック。国際オリンピック委員会のコンパニオンとして参加していた彼女と、長嶋氏はわずか40日間の交際の末に婚約・結婚しました。

表面上は理想の家庭、しかし実情は?

二人の間には長男・一茂さん、長女・正子さん、次女・三奈さんが誕生。世間的には理想の家庭として知られていましたが、長嶋氏の人気と多忙さは家庭への不在を意味していました。やがてそれは夫婦関係に深刻な影響を与えるようになります。

とくに大きな転機となったのが、2004年の長嶋茂雄氏の脳梗塞。公式には自宅で倒れたとされていましたが、実際には愛人宅で倒れていたという情報が流れ、家族に不倫が発覚します。

精神的に追い詰められた妻・亜希子さん

長年の難病(膠原病)を患っていた明子さんは、この不倫報道により深く傷つき、2005年頃には別居生活を始めました。公式には治療のためバリアフリーのマンションに移ったとされていますが、実情は夫の裏切りから逃れるためだったとも言われています。

日々悪化する精神状態の中で、明子さんは宗教にも依存していた可能性があると報じられています。心の支えを求め、徐々に孤独と苦痛に蝕まれていった彼女は、2007年9月17日、長男との夕食後に突然倒れ、翌18日に死去。死因は心不全と発表されましたが、自殺説も根強く残っています。

妻が残した最後の言葉と家族の崩壊

一部の報道によれば、明子さんは亡くなる直前に「夫に殺される」と言葉を漏らしたともいわれています。真偽は不明ですが、それほどまでに精神的に追い詰められていたことを示す証言です。

妻の死後、長嶋家の関係はさらに複雑化。長男・一茂さんと次女・三奈さんの間には遺産管理を巡る確執が生まれ、2019年には長嶋氏が長男に業務委任契約解除を通知するという事件も起こりました。

誰にも語られなかった「ミスター」の影

栄光の裏には語られることのなかった痛みと苦しみがあった。長嶋茂雄という一人のヒーローが、家庭という私的領域で何を失い、どれほどの後悔を抱えていたのか。

東京オリンピックの聖火ランナーを務めた際、明子さんとの出会いの場を思い出した長嶋氏。その胸中には言葉にできない思いがあったことでしょう。

明子さんが最後に何を感じ、何を遺したのか。それはもう本人にしかわかりませんが、長嶋家の一連の悲劇は、表舞台の華やかさとは裏腹の、深く重い現実を突きつけています。

今後もこの真相が明らかになることはないかもしれません。しかし私たちが記憶すべきは、ただの野球のヒーローではなく、一人の夫、一人の父、一人の男としての長嶋茂雄の姿でもあるのです。

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