はじめに
2024年6月8日、巨人軍の終身名誉監督・長嶋茂雄さんの告別式が都内の桐ケ谷斎場で執り行われました。参列者には王貞治氏や松井秀喜氏ら巨人OBが名を連ね、日本中が偉大な野球人の別れを惜しみました。しかし、そこで話題となったのが「戒名が非公開」であったという点です。長嶋さんほどの国民的英雄が戒名を明かさなかった理由とは何だったのでしょうか?この記事では、長嶋茂雄さんの戒名非公開の背景と、現代における著名人の戒名の在り方について徹底解説します。
1. 長嶋茂雄さんの戒名はなぜ非公開なのか?
告別式で明らかにされたのは、長嶋さんが89歳で亡くなられたこと、そして家族に見守られながら穏やかに旅立ったという事実。しかし、戒名については遺族の強い意向で非公開となりました。報道によって一部では「九品院殿希譽英徳巨聖茂雄大居士」という戒名が伝えられましたが、正式な公表はされていません。
非公開の理由とされる主な要因:
- 家族のプライバシー尊重:三奈さんや一茂さんは「本人の希望を尊重した」と語っています。
- 宗教的配慮:仏教において戒名は故人の霊的な名前であり、軽々しく扱うものではないとする立場もあります。
- 詮索や報道を避けるため:メディアによる過度な報道や憶測を避けた可能性があります。
長嶋家はかねてから「静かな見送り」を望む傾向があり、今回の非公開もその延長線上にあると考えられます。
2. 近年の戒名公開・非公開の傾向
過去には戒名は新聞や訃報に掲載されるのが一般的でしたが、近年は非公開を選ぶ著名人が増えています。その背景には以下のような変化があります。
社会的背景
- 個人情報保護の意識の高まり
- 宗教離れによる戒名軽視
- 家族葬や密葬の普及
このような背景が、長嶋茂雄さんのケースにも色濃く反映されているといえるでしょう。
3. 長嶋茂雄さんの告別式と最期の様子
告別式では、次女・三奈さんが喪主を務めました。長嶋さんの棺は、自宅から東京ドームを経由して斎場へと運ばれ、長年巨人軍の象徴として愛されたその人生を象徴するルートを辿りました。
また、看護師も「見たことがない」と驚いたというほど、心臓の波形には最後まで闘志が宿っていたと報じられています。巨人の山口オーナーは「最後まで勝負師だった」と言及し、参列者の多くがその偉大な人生をしのびました。
4. 他の著名人との比較と傾向の変化
以下に、戒名の公開・非公開に関する著名人15名の例を示します。
氏名 | 公開状況 | 戒名 | 背景・理由 |
---|---|---|---|
長嶋茂雄 | 非公開 | 一部報道では存在 | 家族の意向・宗教的敬意 |
安倍晋三 | 公開 | 泰晋院殿政誉清浄晋寿大居士 | 国葬に準じた対応 |
美空ひばり | 公開 | 音楽院美空日和大姉 | 国民的存在の象徴 |
渥美清 | 非公開 | 不明 | 本人の遺志による非公開 |
市川團十郎 | 公開 | 歌舞伎界により命名 | 伝統文化の継承 |
志村けん | 非公開 | 不明 | コロナ禍での制約と家族の意向 |
松本清張 | 非公開 | 不明 | 簡素な葬儀を望んだ |
黒澤明 | 公開 | 映画院芸術英聖大居士 | 映画界の偉人として |
手塚治虫 | 非公開 | 不明 | 宗教的儀式を避けた |
司馬遼太郎 | 非公開 | 不明 | 宗教儀式に関心を持たなかった |
高倉健 | 非公開 | 不明 | 静かな別れを望んだ |
原貢(原辰徳の父) | 公開 | 泰徳院貢誉瑞徳日貢大居士 | 地元と宗教観に根ざした対応 |
石原慎太郎 | 公開 | 泰陽院天嶺文徳日慎大居士 | 政治家としての公的側面 |
宮沢喜一 | 非公開 | 不明 | 家族の配慮による非公開 |
小渕恵三 | 公開 | 泰政院殿温誉英徳賢道大居士 | 元首相としての社会的責任 |
このように見てみると、近年では「公人=必ず公開」という図式が崩れつつあることが分かります。
5. 長嶋茂雄さんのように家族の意志を尊重するためにすべきこと
「自分や家族の最期をどう迎えるか」は、人生で最も大切な意思決定のひとつです。長嶋さんのケースから学べることとして、以下の点が挙げられます。
するべきこと
内容 | 詳細 |
---|---|
遺言やエンディングノートの作成 | 自分の希望(戒名の有無・形式など)を明確にしておく |
家族との事前の話し合い | 残された人が迷わず対応できるよう共有する |
宗教・宗派の確認 | 戒名を必要とするか、形式や考え方を確認する |
簡素な葬儀か伝統的な葬儀かの選択 | 今の時代に合った送り方を選ぶ |
まとめ
長嶋茂雄さんの戒名非公開は、今の日本社会の「死」に対する考え方の変化を映し出す象徴的な出来事でした。「静かに」「プライベートに」送りたいという家族の想いが、偉大な野球人の最後を包み込んでいたのです。私たちもその想いを汲み取り、自身や家族の最期について今一度考える機会としたいものです。