はじめに
2025年7月8日、約20年間にわたり日本に不法滞在していたクルド人男性(34)が、ついに成田空港からトルコへ強制送還されました。
彼は難民認定申請を6回にわたり繰り返し、日本に滞在し続けてきましたが、今回ついに出国となりました。
本記事では、マヒルジャン氏の強制送還の経緯とその後の状況、そして日本の入管法改正が与える影響について詳しく解説します。
第1章: マヒルジャン氏の強制送還の詳細
マヒルジャン氏は、埼玉県川口市で解体工事業を事実上経営し、フェラーリやクルーザーといった高級車を乗り回す様子をSNSにたびたび投稿し、一部の在留外国人の間ではリーダー的な存在とされてきました。
特に昨年(2024年)4月には、自身が管理する資材置き場に100人以上のクルド人を集め、大音量で音楽を鳴らすなどの迷惑行為を行い、近隣住民とのトラブルに発展。
警察が出動し、市議が現場を訪れて注意した際には、「今は日本人の理解が足りないけど、10年後には我々を理解する日が来る」と発言し、波紋を広げました。
2025年7月8日、男性は護送官に伴われ、成田空港から民間機で出国。
搭乗時には大声で抵抗したものの、最終的には泣き崩れ、観念した様子だったとのことです。
送還先はトルコ南部のガジアンテプ郊外にある村で、そこには2階建ての豪邸が建ち、地元でも有名な存在です。
2024年に産経新聞が現地取材した際には、日本から電話をかけ「軍を呼んだ」「軍も警察もお前を探している」と日本の記者を脅すような発言もしていたと報じられています。
第2章: 改正入管法とその影響
2024年6月、改正入管法が施行されました。
この改正で注目されたのは、「3回以上の難民申請を行った場合は、強制送還を一時停止する効力がなくなる」という新ルールです。
これにより、マヒルジャン氏のように制度の隙間で「滞在を続けてきた人たち」が、今後は退去強制の対象として一気に表面化します。
つまり、“ルールが変わった”のです。
この改正により、長期不法滞在者への対応が厳格化され、難民認定申請の回数に関係なく、強制送還が進められるようになりました。
これがマヒルジャン氏の送還に直接的な影響を与えたと考えられます。
第3章: マヒルジャン氏のその後と社会的影響
送還後のマヒルジャン氏は、トルコ南部のガジアンテプ郊外にある村で生活していると報じられています。
彼は「旅券を取り直し、近隣国を経由して再び日本に戻ってくるつもりだ」と話していたとされています。
また、送還時には大声で抵抗したものの、最終的には泣き崩れ、観念した様子だったとのことです。
この事件は、日本国内での外国人政策や難民認定制度に対する議論を呼び起こしています。
SNSなどでは賛否両論が飛び交い、制度の厳格化を歓迎する声と、長期滞在者への対応にもっと柔軟さが必要ではという声が交錯しています。
このような議論は、今後の外国人政策や社会統合の方向性を決定づける重要な要素となるでしょう。
おわりに
マヒルジャン氏の強制送還は、単なる個別の事例にとどまらず、日本の外国人政策や難民認定制度の在り方を問う重要な事件です。
今後、同様の事例が増加する可能性があり、社会全体での議論と理解が求められます。
私たち一人ひとりが、情報を正確に把握し、冷静な判断を下すことが、より良い社会の構築につながると考えます。
参考にした情報元(資料)
- 有名クルド人マヒルジャン、ついに涙の強制送還(DNR5150)
- ”やり手”クルド人不法滞在者が「強制送還」されるまでの一部始終(東洋経済オンライン)
- 【改正入管法第1号】20年不法滞在クルド人の強制送還が突きつけた「移民制度の現実」(ビザアソシア)
- 強制送還クルド人リーダー 取材の思い出(前編)(令和かわらばん)
- 強制送還クルド人リーダー 取材の思い出(後編)(令和かわらばん)